注目の人物にインタビューする「この人に聞く」です。
日本サッカー協会の副会長に先月、就任した西原商会の西原一将社長。民間からの異例の抜てきのわけや、候補地が2度白紙に戻ったスタジアム整備問題の行方をどう見ているのか?聞きました。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「過分というか、自分にとっては想像もしてなかった仕事・役目。うれしいというよりも、非常に身の引き締まる思い」

業務用食品の卸売業などを手がける鹿児島市の西原商会、西原一将社長(47)。西原さんは従業員2200人のグループ企業を率いるかたわら、中学・高校時代のサッカー部の恩師からの誘いをきっかけに、2016年から県サッカー協会の会長を務めています。

全国組織の日本サッカー協会は先月、新体制となり、会長には元日本代表キャプテンでワールドカップにも出場した宮本恒靖さんが就任。新たな副会長に指名されたのが、西原さんでした。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「正直想像もしてなかった、サッカーに携わってきた者として本当に名誉な仕事・役職。(宮本会長は)自分とちょうど同じ年齢だが、本当に我々が尊敬する憧れのサッカーレジェンド」

民間出身者を抜てきしたケースは珍しく、県サッカー協会で取り組んできた民間の視点を生かしたマーケティングの強化や、若い選手の育成強化の経験を求められたといいます。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「自分というより県協会が評価された、かごしま国体で2位となった育成の流れ。Uー12の全国大会を9年連続で鹿児島で開催、そういった取り組みなどが評価を受けた」

ラ・サール中学・高校出身の西原さん。サッカー部で、ミッドフィルダーとしてプレーしていました。1993年のJリーグ開幕が、西原さんのサッカー人生で大きな出来事でした。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「僕が高校時代にJリーグが発足。横浜フリューゲルスが鹿児島で準フランチャイズのチームの地域だった、横浜フリューゲルス好きだった。フリューゲルスが鴨池で試合をするたび、見に行った覚えがある」

西原さんは8年間続けた県サッカー協会会長の任期を今年6月で終えます。任期中に鹿児島ユナイテッドFCがJ2に2度昇格し、県出身の若手選手も世界の舞台で活躍しました。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「ユナイテッドFCが自分の任期中も2回J2に昇格していて、順調にファンを増やしてきたことが非常に大きい。サッカー王国、サッカー大国と呼ばれてきた鹿児島が少しずつ戻ってきた。指導者・選手が頑張って、よい環境になってきた」

一方で、県内のサッカー関係者の長年の懸案となってきたのが、鹿児島市のスタジアム整備の問題です。

スタジアムの候補地を巡っては、「ドルフィンポート跡地」などが白紙になったあと、県有地の「北ふ頭」案も県や関係者との調整が難航し、白紙となりました。

県サッカー協会などは、現状の白波スタジアムでは「代表チームの招致や、ほかの競技との日程調整が難しい」として、これまで県や鹿児島市に早期の整備を求めてきました。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「高校サッカーも決勝戦は鴨池(白波スタジアム)でできるが、それ以外の試合はなかなかできない。知事と市長がコミュニケーションをとって、いよいよ場所などを決めて前に進むのではないかという機運が、2回目のJ2昇格があって、県内全体で盛り上がってきている。この機運を大事に、スタジアムの整備に向けて進めていきたい」

日本サッカー協会は、2050年までに男子のワールドカップを再び日本に誘致し、代表チームの優勝を目指しています。

日本サッカー界の夢の実現へ。西原さんは、民間の経営手腕を生かしつつ、鹿児島から、日本全体のサッカーの裾野を広げていきたい考えです。

(日本サッカー協会 西原一将副会長)「代表チームを強くするのは、日本サッカー協会として大事。少しでもサッカーに関わる人を増やすのが、全体の選手層を広く厚くしていく流れになる。そこに自分としてはアプローチをしていく。この両輪が上手くいって、世界に名だたる強豪国の中に入っていける。みなさんと一緒に取り組んでいきたい」