神社の「杯」を調べてみたら…元代・景徳鎮の「至宝」だった 日本初確認の装飾、中国でも出土例わずか 川辺

 2023/05/28 07:33
南九州市川辺の飯倉神社に宝物として伝わっていた中国・元時代の馬上杯2点=同市のミュージアム知覧
南九州市川辺の飯倉神社に宝物として伝わっていた中国・元時代の馬上杯2点=同市のミュージアム知覧
 鹿児島県南九州市川辺町宮の飯倉神社に伝わる馬上杯2点が、14世紀の中国・元の時代に景徳鎮で焼かれた青白磁で、日本初確認の装飾が施されていることが分かった。

 透かし彫りと、当時の景徳鎮にみられるビーズひものような飾りが特徴。中国でも出土例がわずかにある程度で、専門家は「極めて珍しく、しかも完全な形で残っている。輸入陶磁器を研究する上で重要な資料」と話す。

■「高度な技術を駆使」

 中国・元時代の馬上杯2点は、南九州市川辺の飯倉神社が同市のミュージアム知覧へ寄託した宝物に含まれていた。専門家は「高度な技術を駆使した装飾で、至宝と言える高級品」と語る。

 江戸時代の「川邊名勝誌」に「馬上盃 二ツ」と記され存在は知られていた。2020年に寄託された後、鹿児島県考古学会の上田耕副会長(64)と、同市文化財課の新地浩一郎さん(49)が調査を進めてきた。

 馬上杯は、器を支える台の丈が高い杯。飯倉神社の馬上杯はいずれも高さ約10センチ、口径約9センチ、底径約5センチ。側面には「窓」が四つあり、1点には透かし彫りの草花、もう1点には鳥、シカがあしらわれている。「窓」の周囲には、細かい突起を線状につないだ「ビーズ紐繋(ひもつなぎ)」を施す。元の景徳鎮にみられる特徴的な装飾で、14世紀にヨーロッパへ渡った他の焼き物にも用いられた。馬上杯は欧州人好みに作ったとも考えられるという。

 中国陶磁器に詳しい出光美術館(東京)の徳留大輔学芸課長(47)=鹿児島市出身=によると、同様の器は中国・江蘇省の遺跡から出土した例以外はほとんど知られていない。「透かし彫りは焼く際に変形しやすい。景徳鎮の高い技術と職人の経験を感じさせる」と話す。

 神社は奈良時代の創建で、馬上杯が伝わった時期や経緯を示す資料はない。ただ、川辺には貿易で栄えた坊津や、南西諸島を含む「河辺郡」の中心地だった歴史がある。鎌倉時代には幕府の実権を握る北条得宗家の領地となったほか、戦国時代にも島津氏一族が争奪戦を繰り広げた。上田さんは「川辺が重要な拠点であり、希少品を手に入れる海外ルートを持つ実力者がいたことをうかがわせる」と解説する。

 馬上杯はミュージアム知覧で展示中。新地さんは「近くで見ると細かな装飾まで確認できる。川辺のグローバルな歴史に思いをはせてほしい」と語った。

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