「亡くなったら骨は黒島にまいて」元特攻隊員・江名さん、不時着の海に眠る 交流あった島民ら願いかなえる
2021/05/15 11:30
江名武彦さんが不時着した海を見つめる日高康雄さん(写真左)と小林ちえみさん(同右)=11日、三島村黒島の赤鼻沖
江名さんは東京都出身。1945年5月11日、鹿屋市の旧海軍串良基地から出撃した。電信員など計3人で乗り込み沖縄を目指していたが、途中機体トラブルに見舞われ、黒島北部の赤鼻沖に不時着した。
当時11歳だった島民の日高康雄さん(87)が不時着した江名さんらを見つけ救助を手伝い、全員が助かった。当時の島は深刻な食料不足に見舞われていたが、島民一丸となり江名さんらを看病した。江名さんは終戦後も頻繁に島を訪れて、島民と交流を続けていた。
散骨式は東京都の小林ちえみさん(59)の提案で実現した。夫で映画監督の広司さんが江名さんと島民の交流を描いたドキュメンタリー番組を制作したことが縁。2008年に広司さんが亡くなった後、小林さんと江名さんの交流も始まり、一緒に島を訪れることもあった。江名さんは生前「亡くなったら第二のふるさとの黒島に骨をまいてほしい」と伝えていた。
散骨式は小林さんと日高さんらが、漁船で大里港から赤鼻沖へ。不時着した日時とされる5月11日午前7時半、小林さんと日高さんらが遺骨をまいた。江名さんが好んだユリの花を浮かべた海に向かって「あしたよなぁ」と叫び、江名さんを見送った。
日高さんは「ユーモアのある人で、戦時中にもかかわらず英語の歌を教えてくれた。誰よりも平和を祈っていた」と江名さんとの別れを惜しんだ。小林さんは「江名さんはいつも黒島を思っていた。ようやく思いをかなえられて良かった」と話した。
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